昭和54年の竹富島

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私が初めて竹富島を訪れたのは昭和54年のことです。今と比べても自然の美しさなどはあまり変わりありません。しかし、町の様子はだいぶ変わりました。

当時、島には自動販売機があまりありませんでした。特にビールの自動販売機は非常に少なく、島の東側では、西桟橋に行く途中にある旧ビジターセンターにあっただけでした。しかし当時は夜11時までしかアルコールは買えないなどという規制もなく、私たちは夜の宴会を終えると、たくさんビールを買い込んで 桟橋まで行きました。

しかしこの自販機、今のようにお札が使えなかったため、ビールをたくさん買うためには小銭もたくさん用意していかなければいけませんでした。そのため石垣に行く人や、石垣から来る人がいれば、 100円玉をたくさん持ってきてくれるように頼んだりもしました。
 さらにこの自販機、一応オリオンビールがディスプレイされていたにもかかわらず、実際に買ってみるまで どこの銘柄のビールが出てくるかわからないという非常にアバウトな自販機でした。


 このポスターは、20年以上前に売られていたものだと思います。島の形自体はもちろん変わりありませんが、よく見ると、東桟橋の辺りが今とは全く違います。今は立派な港 ですが、このころはまだ本当に離島の桟橋といった感じでした。

 それから、島の南にある車エビの養殖場がありませんし、竹富一週道路もまだ造られていません。道路は島の中心部と浜を結ぶ以外にはほとんどなく、今とはかなり違うのが分かると思います。


 

 この残骸は、ずっと昔、八重山で人と荷物を運んでいた「第3東光丸」という船です。小さな 貨客船で、石垣と竹富、大原間を定期運航していました。
 今では石垣竹富間はジェット船で約10分ですが、この第3東光丸は30分もかかりました。大原までは 3時間もかかった記憶があります。

 これ以外にも、当時は竹富丸という船が石垣竹富間を1日数往復していました。やたらとエンジン音の大きな船で、降りてもしばらくの間、耳がキンキンしていました。ちなみに、運賃は240円だったと 思います。
 他にもホバークラフトが運航されており、石垣竹富間をわずか5分で結びました。しかし、これも もの凄い騒音で、しかも巻き上げる水しぶきで乗っていても全く外が見えず、あまり楽しい船では ありませんでした。しかも運賃も4倍くらいしました。

 第3東光丸は今、竹富島の、とある場所で藪に囲まれて朽ちていこうとしています。


20年前の海

 昭和54年の竹富島の海です。写真で見る限り、どこがどう違うということもないのですが、潜ってみれば一目瞭然。20年数前の竹富の海は今より、もっともっと美しかったのです。 右端に写っているのが西桟橋です。

 昼間泳いできて昼寝をした後、もう少し泳ぎたいなと思うときには、コンドイ浜まで行くのは遠いので、この辺りで日が暮れるまで泳ぎました。

 見た目の美しさは同じですが、ちょっと泳いでみると全然違います。昔はここら辺でもサンゴや 熱帯魚がたくさん見られました。黒蝶貝もたまに見つけることができて、中に天然の真珠を見つけた、なんて話もあったらしいです。


20年前の海  

 これはおそらく北岬です、たぶん。北岬は当時も今も、海はあまり変わっていません。 立派な防波堤が作られたことくらいでしょうか。おかげでこの辺りの海は今でもきれいです。

 この当時、各民宿には今のような大きなボートはありませんでした。その代わりに、サバニがありました。あの木をくり抜いて作った船です。もちろん、本物のサバニです。5人乗ればいっぱいになってしまう船で、お客さんが多いときは、何回かに分けて船を出してくれました。船外機も貧弱であまりスピードが出ないため、沖に出るまで結構時間がかかりました。


20年前ののはら荘

 1979年の民宿のはら荘の前です。さすがに宿のおじさんもおばさんも若いです。 そして、前列にいらっしゃる小柄なおばあちゃんは、10数年ほど前に104才で亡くなった、のはら荘の おばあちゃんです。当時島で最高齢のおばあちゃんは、牛車観光でものはら荘の前を通る度に紹介されていました。亡くなるまで記憶もしっかりされていて、お客さんの顔をちゃんと覚えておられました。

 のはら荘の看板もまだしっかり文字が読めます。今の看板を知っている人にとっては、年月の移り変わりの激しさがよく分かりますよね。


空港

 これはおまけ。全然ピンぼけですが、飛行機の残骸が写っているのが 分かりますでしょうか。もちろん竹富ではありません。20数年前の石垣空港です。

 航空機が着陸の際にオーバーランして滑走路を外れて炎上したのです。幸いにも死者は出なかったと記憶していま すが、この当時から石垣空港の滑走路の短さは指摘されていました。いまだに石垣に大きなジェット機が 飛ばないのも、石垣からの本土直行便が宮古島に経由して燃料を積み直さなければならないのも、この 滑走路の短さのせいです。

 新石垣空港問題はいまだに解決していません。ようやく場所が決まりつつある段階です。こんな事故は 滅多に起こらないことではありますが、島の観光や生活に直接大きな影響を与えているのも事実です。 なんとか早く良い形で空港が建設されて欲しいと思います。

 

 

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